こんにちは。夕霧です。
今回は15世紀ヨーロッパ・フス戦争を題材にした漫画【乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ】に登場する天才戦術家:ヤン・ジュシュカについて解説します。
本作がどんな漫画か知りたい方はこちらの記事をチェックしてみて下さいね🎵☟
本作の第2巻ではヤン・ジシュカ率いるフス派の義勇軍が都市:プラハを包囲する10万以上のカトリック派騎士団をわずか2千の兵力で打ち破る活躍が描かれています😮☟
ヤン・ジュシュカは、15世紀にボヘミア(現在のチェコ)で起こったフス戦争の英雄として知られており、チェコの歴史において最も偉大な武将の一人として尊敬されており、チェコの紙幣や記念硬貨にも肖像が使用されています☟
“フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用”
どちらかと言えばマイナーであまり知名度がない偉人ヤン・ジュシュカですが、初めて戦争で銃火器を使用した人物であり、広い意味で言えば火縄銃が使われる様になった日本の戦国時代にも深い関わりある訳です。
彼が居なければ、日本の戦国時代の歴史も変わっていたと思います。
そんな知られざる偉人:ヤン・ジュシュカについて彼がどんな人生を送ったのか解説していきます。
ヤン・ジュシュカの生い立ち
ヤン・ジシュカの生い立ちや家族については残された史料が少なく、詳しいことは分かっていないようです💦
ですが、私が調べた範囲で分かった情報を紹介します🧐
ジシュカは、ボヘミア(現在のチェコ)南部の地方領主の息子として生まれました。
“bung世界地図より引用”
一度も結婚したことがなく、正式な子供もいませんでしたが
下級貴族だったジシュカの家が没落して傭兵として生計を立てる様になってから何人かの女性と関係があって隠し子がいたみたいです。
傭兵というのは誰の国の味方でもなく、お金で雇われた兵士の事。現代の会社員に例えると派遣社員みたいなもんですね。契約次第でどの国の軍隊の味方にも敵にもなります。
グルンヴァルトの戦いで片目を失う
傭兵となったジシュカは1410年にポーランド王国の味方としてドイツ騎士団と戦ったグルンヴァルトの戦いで片目を失います。
“グルンヴァルトの戦い絵画【Wikipedia】より引用”
戦いはジュシュカが味方したポーランド軍の勝利に終わり、首都が陥落寸前になるまで攻撃されたドイツ騎士団経済的にも衰退しました。
その後カトリック教会の腐敗に反対した宗教改革者ヤン・フスの思想に共感したジュシュカはフスが火刑にされた後、彼の信奉者(フス派)を率いてカトリック派や神聖ローマ帝国軍と戦う事になり、乙女戦争ディーヴチー・ヴァールカで描かれる物語へつ繋がっていきます。
ヤン・ジュシュカの戦術はあの偉人と同じもの!
乙女戦争ディーヴチー・ヴァールカ第2巻で敵である屈強なカトリック派騎士団の大軍にヤン・ジュシュカが使用した戦術は装甲馬車にフス派の兵士達を配置して突撃して来る騎士団を撃ち倒すというものでした🐎🔫
この戦術。屈強鎧を着た騎士団が騎馬で突撃して来るのを馬車で身構えて待つ事になるのでフス派の兵士達は想像を絶する恐怖があったはずです😰
戦術は成功したのはフス派の兵士達がキリスト教の教えてを信じていて例え戦死しても天国に行けると固く信じていたからだと思います。
“装甲馬車【Wikipedia】より引用”
あれ?でもこの戦術。どこかで聞いた事がありませんか?
“長篠(設楽原)合戦図屏風【Wikipedia】より引用 ”
そう!?織田信長と徳川家康の連合軍が馬防柵の後ろに鉄砲隊を待機させて、突撃して来る武田騎馬軍を打ち破った長篠(設楽原)合戦と同じ戦術ですね。
長篠(設楽原)合戦が起きたのが1575年なので100年以上織田信長より先にヤン・ジュシュカはこの戦術を発案していた事になります。
装甲馬車を突破された場合の恐るべき戦術とは…!?
とは言っても装甲馬車を突破して来る騎士もいる可能性がありますよね…
突破された場合は内側から陣形を斬り崩される形になるので、ヤン・ジュシュカ達フス派の兵士達はかなり不利な状況になってしまいます💦
ではどうするか…!?
実は装甲馬車を突破された場合に備えて恐るべき戦術をヤン・ジュシュカは考えていました!
どんな戦術なのか気になる方は是非乙女戦争ディーヴチー・ヴァールカ第2巻を読んでみて下さいね☟
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