こんにちは。夕霧です。
今回は中国版大奥。後宮の后妃達が繰り広げる愛憎劇漫画レッドムーダンに登場する主人公:武照(ぶしょう)の盟友:徐恵(じょけい)について今後の展開を考察します。
\レッドムーダン第2巻の表紙にもなっている主人公:武照(ぶしょう)の盟友:徐恵(じょけい)/
主人公:武照(後の女帝:武則天)が唐王朝の後宮に入った初期の頃から盟友として本作に登場している徐恵(じょけい)。
陰湿なイジメが多く、なかなか味方になってくれる人間がいない中、徐恵は武照にとって貴重な存在ですね。
…ただ今は仲良しですが、今後この徐恵がどうなってしまうのか?気になる読者の方も多いと思います🤔
歴史上の人物像から今後の考察をしてみました🎵
徐恵の人物像について
徐恵は史実では存在したのか?
徐恵は実際に歴史上でも存在しています!
徐賢妃(じょけんひ、627年 – 650年)と呼ばれており、中国の唐の皇帝・太宗李世民の充容(側室)として記録が残っています🎵
もの凄い天才!
徐恵は、徐孝徳の娘として生まれた。生まれて5ヶ月で言葉を喋り、4歳で『論語』『毛詩』を暗誦し、8歳で文章を自在に書いたと伝えられています!
生まれて5ヶ月で言葉を喋ったというのは流石に話を盛っていると思いますが…優秀な女性だった様です。
その徐恵の評判を聞いた唐の皇帝・太宗李世民は徐恵を後宮へ入れました。
人格者としての側面
貞観末年、しばしば唐は四方に軍隊を出征させ、宮殿建築の事業を興し、百姓は労役に倦んでいた。徐恵は上疏して民衆を苦しめないよう太宗(皇帝)に懇願した事もあるそうです。
唐王朝の時代は他国との戦争も多かったようです💦
上には絶対逆らえない当時の風潮の中で民衆を想い皇帝に懇願するなんて、徐恵は人格者だったんだと思います😭
そして非業の最後を…
649年に太宗が世を去ると、徐恵は悲しみのあまり発病したが、進められた薬を受けつけず、650年に24歳で亡くなったそうです…
24歳で亡くなるなんてあまりに短い人生で悲しいですね…
気になる徐恵の作中での今後の展開
レッドムーダン作中でも皇女達の中で人格者として描かれているので、主人公:武照と敵対する…みたいな展開はなさそうですが、歴史上若くして亡くなっているので、物語の中盤からいきなり退場する事があるかもしれません💦
今後の展開に注目ですね🎵
今回はレッドムーダンのメインキャラクター徐恵(じょけい)について今後の展開を考察してみました。
最後まで御読み頂き有難う御座いました。またの御訪問をお待ちしております🎵
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